2009年12月24日木曜日

ぼくらの純インタラクションを守れ

about face 3 読書ノートの22。

about face 3 に、まるで一大スクープのように、

「ナビゲーションは間接税的な操作だ」

なんて大きな見出しを打っている箇所があります。

そこでは、ナビゲーションを「インターフェースの新しい場所にユーザーを連れていく動作、またはユーザーがオブジェクト、ツール、データを見つけなければならない動作」と定義してるんですが、「連れていく」ったってべつに有り難い話じゃなく、ユーザーにすればむしろわざわざ、しぶしぶってところですから、もうなんか連行されるみたいなニュアンスさえただよって、後の「見つけなければならない」ってのと合わせると、じつにこう、ツールのニーズによって道具化されてしまう人間の悲哀がよく伝わる、ドナドナ的な言いっぷりのような気がしてきます。

そして、そんな怖い怖いナビゲーションにはどんなものがあるのかって、

(以下、例によって、読書ノートなので自分の頭に入れやすいように勝手な要点抽出フィルターがかかってます。)

1.移動。アプリケーションを構成する複数のウィンドウ間、あるいはウィンドウ内の複数のペーン間の。

2.探索。ツール、コマンド、メニュー、あるいはオブジェクト、コンテンツ、データの。

3.切替。オブジェクト、コンテンツ、データを表示する範囲または粒度の。

と、こう列挙されるわけですよ。

あらためてこれらのひとつひとつに思いを馳せてみてください。ユーザーエクスペリエンスなんつって、ほとんどナビゲーションがらみで埋め尽くされているようなもんじゃありませんか。

これが全部、ゴールに直接向かうわけではない、間接税的な操作だっていうんですから、たとえ400円になったとしてもタバコのほうがよっぽど良心的なかんじがします。

で、思うんですよ。じゃあ、ナビゲーションじゃない、無税の、つまり真にゴールダイレクテッドなインタラクションって逆に何?

上のナビゲーションの定義に習って思いっきり大きく出ると、オブジェクトとかコンテンツとか、とにかく何らかのデータの表現を確認して、これになにか手を加え、その結果、データがどんなふうに変化したのかをまた確認すること、この往復、循環、ってことになるでしょう。

ナビゲーションのタイプのうち、上記の2.も3.も抜いてですよ、ほんとにそこだけ純化して取り出したら、これ、非常に僅かな、希少なもんなんじゃないですか。これを純インタラクションとでも呼んで、どっかに含有率を書いといてほしいですね。

いや、しかし、だからといって、虐げられた民びとよ立ち上がれ、今こそこの圧政に反旗を翻せ、とかって話じゃないんですよ。だってこれは、いわば、その純インタラクションの本性がもたらしている宿命ですからね。逃れることはできません。

つまり、僅かとはいえ(いや、含有率とは関係なく)、純インタラクションの全体は、デバイスの表示領域に入りきらないほどデカいわけです。だから常に部分的にしか取り扱うことができず、そのために上記の移動、探索、切替が必要になっちゃって、結果、インタラクションのほとんどがナビゲーションになってしまうということですもんね。

ほんとにもう、インタラクションデザインって、この宿命をどう受け入れるかについてのデザインだと言い切っちゃいたくなるくらいのもんで。ですから、インタラクションデザインの戦術レベルでの指針は、ユーザーの視覚、認知、記憶、運動にかかる負荷を下げ、フロー状態を良好に保つってことだと思うんですが、そうする上で障害として立ちはだかってくるのは、大抵、ナビゲーションがらみということになるはずです。

そのために、--- つまりナビゲーションの氾濫から純インタラクションを守るために --- about face 3 が立てた作戦はこうです。

●永久オブジェクト

どんなにシステムの状態が変化しても、けっして消えてなくならないものを用意し、これを一番はじめに印象づけておこう。

永久オブジェクトこそ、すべてのナビゲーション起点であり、次にとりうる選択肢を常に示している道しるべであり、そして、いよいよというとき、最後に頼るべき縁でもあります。

たとえば、システムと同じ寿命を持つトップレベルのウィンドウ、グローバルナビゲーション、デバイスの物理的なボタンとかね。

●位置情報

全体像と現在位置をいつでも知ることができるようにしておこう。

その方法は、今、まさに部分的に取り扱っているオブジェクトの性質に合わせて、いろいろな手口を考えておく必要があるでしょう。

たとえば、Webサイトならブレッドクラム。画像編集ソフトなら、現在表示している範囲を縮小された全体像中に矩型で示すオーバービュー。ウィンドウシステムでは、現在表示している位置と範囲を、全体に対する相対的な長さで表現してもいるスクロールバーとかね。

●自然な対応関係と構造

純インタラクションにおいて、ゴール達成を容易にするための交換条件としてまあまあ見合う、ということならともかく、一介のナビゲーション風情が、自分のために新しいものの見方や習慣をユーザーに押しつけるなんてことがないようにしよう。

ありがちなのが、車のウィンドウを開閉するボタンが縦一列に四つ並べられている場合、右後部座席のウィンドウを開閉するには何番目のボタンを押したらいいでしょうか? --- 的なレイアウトの対応関係にみられる鈍感さ。

あるいは、時系列のソーティングの方向を、「昇順」「降順」というデーターベース用語で選ばせるような、ラベルと機能の対応関係にみられる普通の人にとっては不自然な実装モデルの押しつけ。

それから GoF のコンポジットパターンのような、同型のオブジェクトが入れ子になるような階層構造なんかも、マトリョーシカ的な玩具以外に現実世界ではまずありえなくて不自然。そもそも、ほとんどの人は深い階層構造を辿るような移動、探索、切替を現実世界で体験したことがない、とかね。

●ペルソナへの適応

連れていくべき場所、ユーザーが見つけなくてはならないオブジェクト、ツール、データを減らす、というか、そのうちでも、普段から意識しておくべきものを極力減らしておこう。

簡単に言えば、いつもそばにあるものと、深いところに隠しておくものとに仕分けること。仕分けの基準は、

・使用頻度
・労力と報酬の見合い
・転位の度合い(その操作によってデザイン対象の状態がどれほど大きく変化するか?)
・危険度(失敗した場合の取り返しのつかなさ)

となるんですが、いずれも、ペルソナの性質、ニーズ、ペルソナが活動するコンテクストに深い関わりを持ちます。言い換えれば、ペルソナに合わせてインタラクションを整理してみようってことです。

よく使うものは当然、いつもそばに置いておきたいですよね。注意したいのは、深いところに隠しておくもの。これには、深いところに隠して"おいても"いいものと、隠して"おいたほうが"いいものと二種類ある。

労力と報酬の見合いがとれ、(かつ、それほど頻繁に使わないものなら、)深いところに隠して"おいても"いい。

転位の度合いや危険度が高いものについては、一般に、深いところに隠して"おいたほうが"いい。とかね。

こうして、実際にはその数を減らすことはできなくても、なるべく、なるべく、ナビゲーションのやつらにユーザーの心を奪われないように気をつけて、ユーザーの心に占める純インタラクションの割り合いをもっと上げていこうよ、ということですね。

純インタラクション --- そう、今夜は特別に、My Sweet Soul Interaction って呼ぼう。My Sweet Little Interaction のほうがいいかな?

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