2010年4月8日木曜日

イディオマティックデザイン

About Face 3 読書ノートの 27。

ここにきて About Face 3 の本当の構成がやっとつかめてきました。

まずなんだかんだ、インタラクションデザインの原則に関するほとんど宗教的と言ってもいいくらいの荘厳な教えと戒めがあってですね(語り口はじつに伝法なもんなんですが)、じゃあ、その教えにしたがってこの世の闇を払うには?ってことで、ふたつのありがたいメソッドを授けて下さる。福音ですね。その一方が、例のゴールダイレクテッドデザインで、もう一方が、イディオマティックデザインです。

Idiomatic Design イディオマティックデザイン。聞き慣れませんね。この一連の読書ノートでも始めて書きつける言葉です。ASCII版の About Face 3 では「イディオム的デザイン」という訳になってますけども、かたっぽをゴールダイレクテッドデザインで通すなら、こっちも対称性を重視して「イディオマティックデザイン」でいくべきでしょう。

実際にはそういう順番で本書が書かれているわけではないし、ボリューム的にも、そんなふうにきれいな二等辺三角形を描くようなバランスでもないんですが、しかし、論理的な構造としてはそうなってると思うんです。このイディオマティックデザインってやつの有り難味を見過ごしてるとですね、この分厚い本、割と尻つぼみな感じがすると思いますよ。じつはぼく、ずっとしてました。

で、そのイディオムってやつのすばらしさを際立たせるために About Face 3 がぶつけてきた噛ませ犬が、前とそのまた前のエントリーで取り上げたメタファーってわけですね。メタファーっていえば、なんとなく GUI の立役者みたいに思われているけれども、それは買い被りだって告発したわけです。それどころか、「皮肉にも、一般にメタファーと考えられているGUI要素の多くは、実際にはイディオムである。」なんてことも言ってます。

では、そのイディオムって一体どんなもんなんでしょう。イディオマティックにデザインするってことは、具体的にはどういうことなんでしょう?

イディオムって、まあ、普通に日本語に置き換えれば慣用句ってことですね。About Face 3 の中にも、いくつか英語の慣用句が紹介されています。

beat atound the bush 回りくどい

cool かっこいい

Uncle Joe kicked the bucket ジョーおじさんが死んだ

とかね。

でも、なにも歴史と伝統のある表現に従うのが一番、なんて、デザインの保守主義を説こうってわけじゃないんですよ。一瞬、そうなのかなって思いますけれども。About Face 3 が、イディオムという言葉を使うのは、すでに広く受け入れられた表現方法を積極的に使っていこうってことじゃなくて、慣用句というものの成り立ちと働き方に着目してのことなんです。そこに、インタラクションデザインが学ぶべき特性があるぞ、と。

まずは成り立ちの話。これは、イディオムっていうより、イディオムも含む言語全般の特性というべきものですけれども、注目したいのは、文字や音節が組み合わさって詞となり、その詞が組み合わさって句や文になり、さらにその文が組み合わさって自由な表現となる、といった構造。そう多くもない要素と、そう複雑でもない規則を使って、要素の総和以上の価値を無限に産み出すことができる階層的なモジュールシステムとしての側面ですね。

このアナロジーでインラクションを省みていくとですね、まず、文字や音節に当たるのは、クリック、ドラッグ、キー押下などの入力アクションということになりますね。あるいは、テキストだとかカーソルなどの表示要素。インタラクションにおいてはこれ以上分割できない最小単位ってことで、About Face 3 ではこのレベルの要素を「プリミティブ」と呼んでいます。

次に、文字や音節が連なってできる詞に当たるのが「複合要素」。クリックというアクションを立て続けに実行してダブルクリックとかね。ボタンをポイントしてクリックするとボタンクリック。表示のほうでも、カーソルとテキストを含むテキストボックスや複数の状態を持ちうるチェックボックスなんかはこのレベルの要素です。

そして詞が連なって句や文となるように、「複合要素」がさらに組み合わさって、ユーザーがゴールを達成するためのインターフェースになっていくわけです。これが About Face 3 の言う「イディオム」のレベルですね。たとえば、マウスでオブジェクトをポイントして、右クリックでコンテクストメニューを表示し、そこから削除コマンドを選択して実行する ... といった一連の操作なんかがそうです。

この構造、本の中ではわかりすい逆三角形の図で示されています。同じものが下記のURLに引用されていました。

YAHOO! USER INTERFACE BLOG
Developing a JavaScript Library for Yahoo!
http://www.yuiblog.com/blog/2006/02/17/developing-a-javascript-library-for-yahoo/

はい。こんなかんじでインタラクションのメカニズムを捉え直してですね、言語のような自由なコミュニケーションシステムとしてインタラクションをデザインしてみようって、まあ、そういう寸法です。

ただ、その伝でいくと、じゃあコマンドラインインターフェース/CUIのほうが言語的でいいんじゃない?ってことになりそうです。しかしそれはあまりにも性急な議論というもので、不用意に自然言語に近づいていったら、それこそ習得が難しくなるよ、と。だって、
「インタラクションの語彙に含まれる原子的要素が多いほど、学習プロセスも時間がかかり難しいものになる」のが道理ですから。

プリミティブは減っても、組み合わせ方の工夫次第で、ちっとも表現力が落ちないのが、こうした階層的なモジュールシステムの強みで、GUIはその性質を最大限に活用することをアテにして産み出されたもんだといってもいいくらいなんですね。

About Face 3 によれば、「初めて発明されたときのGUIは明らかに優れていたので、多くの業界ウォッチャーがインターフェースのグラフィカルな性質に成功の原因を求めていた。これは自然な考えだが間違っていた。オリジナルのMacのような最初のGUIが優れていたのは、インターフェースがグラフィカルなために、ユーザーがシステムとインタラクションするための語彙を非常に制限しなければならなかったことにある」そうです。

さて、あともうひとつ、慣用句の働き方に関する着目のほう。慣用句って、たいてい字義通りの意味を超えた意味を帯びて流通するんですよね。Uncle Joe kicked the bucket で「ジョーおじさんが死んだ」みたいに。どうしてそんなことになるのか?は、わかりません。About Face 3 はそこには関心を払わない。ただ、どうしてそんなことが可能なのか?ってところにひっかかる。

Uncle Joe kicked the bucket の例でもわかるように、慣用句の表現と意味の結びつきは、たんなる規則にすぎない。その結びつきに必然性なんかないわけです。だから、「直観ではわからないし、どうしてそうなったのか、理由を説明することもできない。前後のコンテキストから学ぶか、意識的に教えられることがなければ、意味はわからない。」

でも人間はそういう慣用句を苦もなく学んで、すぐに使いこなすことができる。

「人間の頭脳は大量のイディオムを早く簡単に学習してしまえる驚異的な能力を持っている。ほとんどのイディオムは比喩的な意味をまったく持たず、イディオムの元になった話は大昔に失われているので、この能力がなければイディオムは生き残れない。」

そういう人間たちにインタラクションを提供するのに、当てずっぽうの直観に頼るしかない隠喩的な表現を使う理由がどこにあるのでしょう? もっと、人間の可能性を信じようじゃないか。って、ここが、About Face 3 の全編を貫く人間中心主義の面目躍如、一番の見せ場だったんですよね。人間の知性への絶対の信頼。「ホモ・サピエンスは本当は頭がいいんです!」と叫ぶアラン・クーパー。

いずれにしても、これがトドメ、ダメ押しですよね。規則さえあれば、字義も気にせずなんだってできるということですから。

そして About Face 3 のここから先、いよいよ最後の Part3 に入るわけですけど、要するに具体的なイディオムの使い方指南なんですよね。検索、アンドゥ、保存、入力、選択、ウィンドウ、各種のコントロール部品、メニュー、ツールバー、ダイアログ、エラー、警告、確認 ... といったイディオムの数々。ここも言語アナロジーにのっていえば、"文章読本"みたいなかんじですね。そう思ってもうしばらく読み進めてみることにします。

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