2008年8月11日月曜日

デザインは誰のもの?

すこし前から、ちょっとしたレポートやパンフレット、長くて新書くらいのまとまった文章を Web で公開したいときに、ブログ、Wiki、その他の CMS よりも、使い勝手のいいコンテンツ制作ツールをつくってみようという社内プロジェクトをやってまして。

ようするに、ありていにいえば、頭から順番に読みたい一連の Web ページを作るのに、インデックスとかページネーションをシステムが自動に作ってくれる、そういう特殊な Wiki ですね。それだけのことなんですけど。

それのシステムイメージの方向づけをみんなでやってたときに、ふと、デザインって誰のものなんだよって話になったんですよ。

当然、ブログみたいに、テーマとか、スキンとかを取り替えられるようにしよう、ということになるんですけど、もし自由に取り替えられるんだったら、どれにするかを決めるのは、コンテンツの提供側じゃなくて、ユーザー、読者の側であるべきなんじゃない?と。

もちろんそれぞれを見分けて、その内容や価値をなんとなくでも感じ取ることができるように工夫が凝らされたコンテンツごとのデザインっていうのは必要です。でもそれは、たとえば iTunes のアルバムアートワーク、つまり、ジャケットみたいなのでいいんじゃないか。

Web デザインでは、デザインが担うそのへんの役割をトーン&マナーとかいいますけど、それを全部、"ジャケット"に閉じこめちゃうと、Web デザインにはあと何が残るんでしょう。

たぶん残るのは、

1、組版

見出しや本文の文字の大きさ、字間、行間野調整、また、画像、動画、表その他のコンテントの配置

2、インターフェースデザイン

各種ナビゲーションを構成するリストやボタン、また、それらをまとめた"操作パネル"のトータルなビジュアルデザイン

なんじゃないかな。で、そういうふうに分解して考えてみると、たとえば、1、については、新書の場合、タイトルに関係なく、ひとつのシリーズでみんな共通しているし、2、については、いってみれば、iTunes や Windows Media Player とかの再生、停止、一時停止、早送り、巻き戻しの各種のボタン類と同じようなもので、1、2、ともに、かならずしも、コンテントそのものや、コンテンツ提供者のブランドに依存しなくてもいいように思えてきます。

そうすると、それらは、それこそ Windows Media Player でのスキンのように、あるいは、そうだ、ブラウザのスキンやテーマのように、ユーザが選べるものとして提供されてもいいんじゃないかなあ、と。

もちろん、すべての Web サイトがそうである必要はないんだけど、たとえば、Uniqlock に代表されるような、それひとつでチラシみたいなサイトとか。でもフィードリーダーで次々読まれるコンテンツにおけるデザインというのは、そういうふうに考えられていってもいいんじゃないかな、なんて、ちょっと思ったわけです。

デザインをなんでもかんでもコンテンツ提供側が決めるっていうのは、印刷物の生産と流通におけるテクノロジーの制約の名残りに囚われすぎ、みたいなとこがあって、ライブでプロセスできて、パーソナライズもできて、データとスタイルの分離もできてってところでは、そこんところを一回疑ってみてもいいんじゃないの、って、まあ、そういうお話です。
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