2008年8月21日木曜日

サイトデザインのプロットとシノプシス

ワイヤーフレームが、画面デザインに干渉しすぎて、不用意にその可能性を狭めてしまったりするのを嫌って、いわゆる構造段階、骨格段階といわれる作業フェーズでは、各画面に含まれる要素のリストアップだけをやって、あとは表層段階のデザインワークにまかせるっていうやり方もあるみたいですね。

ぼくの勤務先は、実はもともとが書籍や雑誌をやっていた編集プロダクションでして、Web の制作にも、編プロ時代のノウハウを持ち込んで自分たちなりにああだこうだいって試行錯誤を繰り返してきた歴史があったりします。

つい3〜4年前までは、構造・骨格・表層段階の区別もなく、編集者が書いたラフをもとにデザイナーがデザインをおこす、といったプロセスでサイトデザインをやってました。

もうラフ中心主義ってかんじで、デザインもラフの清書みたいなのしかあがってこなかったりして。

それが当時、ぼくはけっこう不満でした。ラフはあくまでも情報の構造をスケッチしているだけで、デザインは、見た目としてラフに忠実である必要はないってデザイナーにいってはみるんですけど、なかなかうまくいかない。

まあ、ラフ・スケッチ=デザインの粗い下書きってことなんでしょうから、言葉の使い方からして限界があったんですよね。

そういう経験もあるので、ワイヤーフレーム不要論が求めるところはよくわかるつもりです。

でも、サイトの目的とユーザーニーズのマッチングに向けた情報デザインこそが、最後の表層段階の作業に対するインプットなんだとしたら、やっぱりワイヤーフレーム必要でしょ?って思うんですよね。

ちょっとまとまった原稿を書くときなんかに、まずプロットを作れ、それをシノプシスにまとめろ、それから文章にしろ、になんて教わりました。

プロットもシノプシスも、もとは作劇法の用語だと思いますが、プロットはお話を構成する要素と要素間の因果関係や論理的な関係を箇条書きとかでまとめたものですね。マインドマップなんかでも書けそうなものです。

シノプシスは、話す順番、ストーリーの展開のさせ方、論法や話法を考えた上での、いわば、あらすじのことですね。

プロットは構造で、そこに時間をいれるとシノプシスになる。システムの設計ならクラス図がプロットで、シーケンス図がシノプシス、かな。

ワイヤーフレームは、プロットとシノプシスの両方の側面を持つものだと、ぼくは思うんですよね。

一方で、画面内に含まれる要素のリストアップは、プロットにはなるけど、シノプシスにはならないでしょう。

でも、プロットで確認した情報構造を効率よく、魅力的にユーザに伝えるためには、どういう順番と強弱でユーザの目や頭や心に提示していくべきなのか、そこらへんも、表層段階に入る前に検討しておくべきなんじゃないでしょうか。

そして、そうしたユーザーコミュニケーションのシノプシスを具体的に実現するためには、どのような視覚デザイン、インタラクションデザインが有効でありえるのか、を考えるのが表層段階でしょう。

もちろん、表層段階とその前段階はいったりきたりで、特にシノプシスのあたりは、デザインワークの中でより効果的なやり口がみつかったりして全然いいんです。

だけど、Web ディレクターは、ユーザーとのコミュニケーションに責任をとるわけですから、プロットだけでなくやっぱりシノプシスまで込みで、デザイナーに対する最初のインプットを行うべきだと思います。

ただ、あくまでもワイヤーフレームはそのために書くんであって、けっしてデザインの下書きなんじゃないんだよ、ということは、Web ディレクターと Web デザイナーの双方がよくわきまえてなきゃいけないってことですね。

なんつって、けっこういまだに、あ、調子にのってラフ描いちゃった、っていうことがあるんですよねえ。

やっぱり、一回、ワイヤーフレームなし、っていうのもやってみようかな...。
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