2008年7月12日土曜日

複雑さのいいところ

うろ覚えですが、かつてまんがに訪れたエポックメイクとして、手塚治虫が新宝島のファーストシーンでやってみせた映像的な革新のことががよく取り上げられるけど、石森章太郎にはじまって、さらに彼に影響を受けた少女まんが家たちが完成させたネームの重層化による内面描写の革新のこともすれちゃいけない、みたいなことを、たしか、大塚英志がいってたと思います。

ネームのというのは、まんがのセリフやナレーションのことですけど、石森以前のまんがでは、手塚といえども、登場人物の発話と内心語の連なりに、物語の話者によるナレーションが挿入される程度だったのに、石森以後では、そのうちの内心語の使われ方がさまざまに分化、進化したんだそうです。

たとえば、内心語は、それが内心語であることをあらわす破線や引き出し線が泡状の特別なフキダシの外に進出して、一人称で書かれる小説の地の文のようになったり、コマの枠まで乗り越えて、すでに誰の内心が語っているのかも判然としない、役割としてはTVドラマの挿入歌のような、ポエムのようなものにまでなる。

通常の発話、内心語、ナレーション、一人称語り、そしてポエム、これらを細切れにしながら次々と重ねていくことで、内面的で複雑な表現が可能になり、まんがでも深い話ができるようになった、というわけですね。ちょっと正確には紹介できていないかもしれませんが、そんな話として覚えています。

そういえば、雑誌の編集をやってたころ、編集者としての師匠である社長に、企画も原稿も、見出しも、誌面のレイアウトも、もっと立体的にしろ、と、よくいわれました。立体的というのは、読者に集中の持続を強要しないように、改行し、段落を分け、小見出しをつけ、本文は短めに、コラムや図表は多めに、見開き単位で切り口を変え、メインタイトルの周囲には、サブタイトルやキャッチコピーやリード文をふんだんに組み合わせろ、みたいなことです。

それは、拾い読みや、斜め読み、読むと言うよりも眺めて楽しむことができる、雑誌特有のインターフェースを実現するための手口なんですよね。師匠によれば、子供向けの雑誌や婦人誌で発達した方法なんだそうです。

まんがのネームの重層化とはまったく違う話ですが、ある目的のために複雑さが志向されている点は共通していると思います。

でも、Webでは、特にあの Google のトップページに衝撃を受けて以来、ユーザビリティの話なんかでも、複雑さはとにかく悪ですよね。なんかあるかな複雑さがメリットにつながるケース。

明日また考えてみるかな。
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