と思って、前のエントリーの続きは書くのをあきらめようと思ったんだけど、いやいや、身も蓋もないようなことをあらためていうようだけど、ハイパーテキストで文書を公開できるオープンネットワークがあって、それを人々が使い倒してることの全体が複雑さそのものですね。
そして、それは相当、すばらしい。
まんがとエディトリアルデザインの複雑さにはコントロールがあって、そこにプロフェッショナリズムも発生しえたんだけど ... なんかそういうセンでまとめられないかという下心でこの話をはじめてみたところがあるんですが、Web そのものが価値ある複雑さとしてあるのだ、とかいっちゃうと、Web にそれはなさそうですよね。そういうものから自由であることが価値の中心にあるんだし。
実際の仕事でも、複雑さをうまいこと導入するなんて話は皆無で、むしろ、ユーザーがシステムやサービスやサイトに対して抱く概念モデルをいかにシンプルで端的なものにしてあげられるかということをいつも考えてます。
ただ、エディトリアルデザインに多少の郷愁を覚える身としては、たとえば、ソーシャルブックマークでアグリゲートされるブログのエントリーのひとつひとつを、あるテーマに関する雑誌の特集ページを構成する本文やコラムにみたてて、見開き単位の誌面に適当な見出しやリード文とともにレイアウトしてみたらおもしろく読めるんじゃないかなあ、と思ったりもします。
で、そういうのを、ある時期のソーシャルブックマークのトレンドを伝えるアーカイブとして、はてなあたりが残していけばいいんじゃないかなあ、とか。年鑑みたいにしたら、書籍でもある程度売れるんじゃないでしょうか。
それはいわゆる「まとめサイト」と呼ばれるものの一種かもしれません。
そして、まとめサイトの内部では、そういうふうに、読みやすさ、把握のしやすさに貢献する複雑さとして、エディトリアルデザインが入りこむ余地がありそうですね。まとめ職人とかいってね。
まとめ方をめぐる方法論や技術論が発達して、まとめ支援ツールにすごいのが出てきたりすると、ソーシャルブックマークのみかたもバラエティに富むようになって、それはそれで楽しめそうだと思うんですけど、どうでしょう。
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