2008年7月26日土曜日

動画とエンベッダビリティ

いまさらナニですけど、YouTube が出てきてわかったのは、ネットで見る動画の長さ、尺は相当短めのほうがいいよ、ってことですよね。

いいとこだけかいつまんで、短いのを、ばらばら見るのがいい。ネットの動画コンテンツは、テレビや映画をそのままリプレイスしていくものではない、ということ。

だいたい、テレビの30分、60分、90分という長さは、たんに視聴するのにはそれくらいがちょうどよかったというだけでなく、制作や運用のしやすさ、広告媒体としての売りやすさから求められてきたもんなんじゃないでしょうか。

映画なら100分前後っていうのも、観客が集中力を持続できる限界の話もあるだろうけど、制作費、料金、映画館のキャパシティーなんかのバランスから、そのくらいがいいところだろっていうことになるんでしょう。

ネットでは、そういう事情や制約から自由なんだから、なにもテレビサイズ、映画サイズで動画を流通させることはないわけで。だから、Gyao はだめなんだよ、なんて、当時、生意気なことをいってました。

じゃあ、自由なネットの動画コンテンツはどうあるべきなの?というと、せっかちなリズムでクリックしてプルを繰り返す、このオンデマンドな世界にあっては、短めが吉。

YouTube は、いいとこ取りの細切れビデオを無数に集めて、それを気の向くままにクリック&プルで見ていく快楽を教えてくれたわけですね。

それから、もうひとつ、その短さっていうのが、こんどはテキスト中心の情報メディアへの動画の埋め込みを誘うんですよね。いや、短くてもいいのはそこに埋め込まれるからってのもあるんですよね。

動画は短いほどエンベッダビリティが向上するとでもいうか。そんなこといわないか。まあ、とにかく、ネット、というか正確にはブラウザベースでの動画コンテンツのいいところの第一は、まさにそこにあると思います。

ネットでなにかを動画で伝えたいと思った場合、あたりまえだけど、一から十まで全部動画の中に収める必要はないんですよね。目の当たりにして、たしかにこりゃ百聞は一見に如かずだわ、という部分のみ動画にして、そのインパクトの瞬間にいたるまでの背景や経緯、各方面の反応なんかは、動画プレイヤーのまわりに配置したテキストや静止画にまかせたほうがよっぽどわかりやすいですし、ユーザー体験も全体としてたっぷりとしたものにできると思います。

そのへんも含んだ状態で、だれずにちゃんと見られる動画を制作するのは、結構、スキルがいるんで、せこい話かもしれませんが、相応のコストと時間がかかっちゃう。

でもねえ?そんないい画質のうまい編集の長いビデオよりも、決定的瞬間を手持ちのカメラでさくっと撮ってきましたつって、詳しい経緯を説明したテキストと一緒にブログにアップされたもののほうが魅力的じゃないですか?その上、安上がりなんですから、同じ予算でたくさんのインパクトをユーザの皆様にお届けできるってなもんですよ。

そう考えると、ちょっと飛躍しますが、大晦日の格闘技番組なんて、純粋なファンの立場からすれば、テレビ向きのコンテンツじゃないな、なんて思います。

ご存じのように、試合はちょっとで、ほとんどの部分が過去の振り返りとサイドストーリーによる煽りでできあがってる。あれは、まさにあのまんまの構造で、Web サイトにしたほうがいいですよ。試合の部分だけ動画で、あとは、読み物と掲示板とリンク集。けっこう面白いのができそうじゃないですか。いつでも見られるし。

まあ、テレビのように収益は出ないでしょうけどね。あくまでもファンの立場では、ってことで。課金コンテンツにするって手もあるけど。あ、課金じゃなくて、何か買うと見られるってかたちのスポンサードを募るのはどうでしょうね。ペットボトルのお茶のどっかのシールをはがすとシリアル番号が出てくるんでそれを入力すると見られるとか。

そういう形式で見たいものは、いろいろ考えられそうですよね。

たとえば、M�1の第一回からの予選も含めた全漫才とか。好きものなら、たぶん見切るまで相当長い期間楽しめる。見切らないうちに次が足されたりして。そのあいだずっと同じ銘柄のお茶を飲み続けるわけです。シリアル番号、すぐに有効期限がきれちゃうんで。ただ、ユーザ認証は別にあって、どこまで見たかとかの記録は永続化されているからまたタチが悪い。なんて。


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